会長を辞するにあたって会員のみなさまにご挨拶申し上げます。
私が会長を務めたこの2年間は、判断を間違えれば学会が消滅したかもしれない状況にありました。そんな状況を無事好転にまで持って行けたのは、ひとえにみなさまのご支援があったからです。まずはこの点についてみなさまに感謝申し上げます。
危機を脱したこの学会の今後の方向が会長選挙の争点でした。
私の公約は学会財政の責任は会長にあることを明確にし会長が責任をもって財政の確認に当たること、会計業務を見直すこと、総合学としての陸水学が復活するためのプロジェクトを創設すること、生涯現役時代を見据え退職される会員へのサービスの向上、でした。
一方、新会長の公約は大会の活性化(この中に自治体、企業、NPOなどが参加して発表できるようにするという内容も含まれると思われます)、学会の国際化(大会に外国人が参加しやすくすることも含む)、陸水学雑誌とLimnologyでどのようなトピックが話題になっているかや両雑誌の国内外での位置づけなどの情報を会員がタイムリーに得られる仕組みを作る、でした。
双方に全く一致点はなく、かつ双方が同数を獲得しましたので、新会長にはご自身の公約だけでなく、私の公約にも留意して頂きたいと思います。また会員のみなさまには引き続き学会運営を注視いただき、双方の公約がともに達成されるよう、メーリングリストや総会などを通じてご意見をあげてくださればと思います。
私の就任の挨拶のタイトルは「多様性と社会貢献」でした。社会貢献については、沖縄大会の底生動物同定会で一般の方が利用できる底生動物図鑑を冊子としてまとめ、好評を博したので書籍化して出版しました。この図鑑を使って沖縄県の底生動物と水環境との関係を子供達が主体になって調べる計画が、沖縄で立ち上がろうとしています。みなさまのご協力のおかげで公約のひとつが達成できたことに感謝申し上げます。
多様性について、山本(1996)は1933年当時の陸水学会について「有名な生物教室の先生方は皆会員になっていたが、このほか当時超一流の地球物理、地質、地理の先生方が入会していた。(中略)名簿によれば、これら理学部の先生方だけでなく工学部関係の(中略)名前もみえ、学部・学科をこえた広い交流のあったこと、現在の生態学優勢とは異なりIHP(The International Hydrological Programme)、IAHS(International Association of Hydrological Science)的な集合協同体であったことがわかる。」と記しています。私が多様性を目指したのも、まさにこの点にありました。しかるに田沢湖大会でポスター発表を「生物」「非生物」と分けたことに大変衝撃を受け、多様性を高めるという公約は果たせなかったと思いました。
選挙公約でこのことに触れ、「この学会がかつての総合力を発揮できれば、日本や世界の水環境問題の解決をリードするようになる。賛同する方のご支持をお願いする。」としたところ、対立候補と同数の票を得ました。生態学関係者が圧倒的に多い現在でも陸水学は総合学と考えている会員の比率は5割と考えてよいと思い、次期企画委員長には総合学としての陸水学、多様な主体による陸水学を目指す方向での検討をお願いしました。総合学としての陸水学が発展するよう引き続きみなさまのご支援をいただけますようお願いして、退任のご挨拶といたします。2年間のご支援、誠にありがとうございました。
2017年12月24日
山室真澄
(引用文献)
山本荘毅(1996)シリーズ:日本陸水学会の歴史を振り返って(3)学会創立当時の思い出.陸水学雑誌,57:283ー284